卓越した品格ともてなしで、料理と空間、西洋と東洋、伝統と革新を
融合させた伝説のレストラン「西洋膳所 JOHN KANAYA 麻布」。
2002年に惜しまれつつ閉店するまで、多くの著名人に愛されたその店は、
オーナーである、金谷鮮治の美学の結晶でもありました。
若い頃から海外を漫遊し、世界の一流を体験した金谷鮮治は、
類い稀なる見識とダンディズムを持ち合わせた昭和の日本を代表する粋人。
その美学を受け継いだショコラトリー「JOHN KANAYA」。
What’s a JOHN KANAYA style
誰もが真似できるものではなかった、金谷鮮治のスタイル
オーデコロンをつけていたわけではないが、鮮治からはいつも甘い香りが漂っていた。
それはハバナ産の葉巻と彼がこよなく愛した白百合「カサブランカ」のせいだった。
仕立ての良いスーツで身を包み白のリンカーンコンチネンタルで西麻布に乗り付けると、
スポットライトに照らし出されたように灰色の町が彼の周りだけ華やいで見えた。
そのような鮮治のスタイルはとても自然であり他の誰もが憧れを持って眺めていた。
もって生まれた魅力だけでなく、世界中を旅して得た知識や、見たもの、
出逢った人との経験に裏打ちされた教養のなせる技だったようだ。
「僕がパリへ行くと、エッフェル塔が点灯するんだよ。」
まるで映画のようなセリフと共に数々の武勇伝を残した。
1971年に誕生日した「西洋膳所JOHN KANAYA麻布」は、日本の世界に誇るべき繊細で華麗な食文化を、
西洋の先進的な料理、インテリア、サービスと融合させることで、多くのセレブリティに愛されました。
すべてが本物で設られ、静かで優雅、そして何よりもお洒落で美味しいレストラン。
鮮治は自らのクリスチャンネームを冠したこの店を、
美味しい料理を提供するだけではなく、
作ったシェフの姿勢や人柄に触れることで、味覚だけにとどまらず、
料理や人の物語が愉しめる「至福の空間」にする事を目指した。
若くても新しいフランス料理を積極的に考えてくれる人をシェフに迎えたいと考え、
当時フランスへ行った事もなく、本格的にフランス料理を勉強した事もなかった、
29歳の坂井宏行氏が初代シェフに就任した。
大切な家族への手土産
鮮治はホテルやレストランで働くスタッフを家族のように考え、接していた。
お客様に対して最高のおもてなしを実現するために、
もっとも大切なのは従業員だということを熟知していた。
当時200人近くいたスタッフ全員の顔と名前を覚え、心遣いも忘れなかった。
また、当時としてきわめて珍しい託児所をホテル内に作り、働く母親を全面的にバックアップした。
海外へ出かけると、託児所の子供たちのためにチョコレートを買い求め、
帰国すると必ず託児所を訪れて色とりどりのチョコレートを自ら手渡していたという。
美味しさと品質を封じ込めた証
JOHN KANAYAの代表商品ボンボンショコラはかつてヨーロッパで
大切な文書に本物である証として用いられていたと言われる、
シーリングワックス(封蝋)を模ったショコラをのせて仕上げました。
伝統と革新
金谷鮮治から受継ぐ「和敬洋讃」の精神、「古き佳き」を大切に、
時代により添ったJOHN KANAYAらしい唯一無二の「スタイル」の確立を目指します。
「より豊かで紳士的ライフスタイルの提案」「味覚の幅を広げる」を、
金谷鮮治が愛した葉巻やお酒などの嗜好品をショコラで表現していきます。
MESSAGE FROM CHEF CHOCOLATIER
ショコラが文化に息付く時代を目指して
JOHN KANAYAのショコラを通してダンディズムという文化の香りを嗅ぎ、
人生をより豊かに楽しく過ごすライススタイルのヒントとなれば嬉しいです。
また、商品が学びのステージになるよう「素材」と「バランス」にこだわり、
一時的な流行を追いかけるのではなく、らしい「スタイル」の確立を目指しています。
JOHN KANAYAのショコラにはハイランクのお酒を使用し、
その風味をダイレクトに感じるように仕上げる特徴があります。
嗜好品であり、出逢わなくても困らないお酒の味をショコラを通して知り、
味覚や興味の幅を広げるきっかけとなる事ができたら。
そして何より、一人でも多くの人に「美味しい」と笑顔になっていただくために、
ショコラはひとつひとつ心を込めて手作りしています。
皆さんの「美味しい」と笑顔になって欲しい、大切な人はどなたでしょうか?
大切な人への贈り物に選んでいただけたら嬉しいです。
シェフショコラティエ
野口 和男
次は「時代の先を歩んだ破天荒なダンディズム」
ジョン金谷鮮治のプロフィールをご紹介します。